小さな声でいろんな話をした。彼女は僕の手相を見てcあなたは百五歳まで生きて三回結婚して交通事故で死ぬと予言した。悪くない人生だなcと僕は言った。

    四時すぎに父親が目をさますとc緑は枕もとに座ってc汗を拭いたりc水を飲ませたり頭の痛みのことを訊いたりした。看護婦がやってきた熱を測りc小便の回数をチェックし点滴の具合をたしかめた。僕はtv室のソファーに座ってサッカー中継を少し見た。

    「そろそろ行くよ」と五時に僕は言った。それから父親に向かって「今からアルバイト行かなきゃならないんです」と説明した。「六時から十時半まで新宿でレコード売るんです」

    彼は僕の方に目を向けて小さく肯いた。

    「ねえcワタナベ君。私今あまりうまく言えないんだけれどc今日のことすごく感謝してるのよ。ありがとう」と玄関のロビーで緑が僕に言った。

    「それほどのことは何もしてないよ」と僕は言った。「でももし僕で役に立つのならまた来週も来るよ。君のお父さんにももう一度会いたいしね」

    「本当」

    「どうせ寮にいたってたいしたやることもないしcここにくればキウリも食べられる」

    緑は腕組みをしてc靴のかかとでリノリウムの床をとんとんと叩いていた。

    「今度また二人でお酒飲みに行きたいな」と彼女はちょっと首をかしげるようにして言った。

    「ポルノ映画」

    「ポルノ見てからお酒飲むの」と緑は言った。「そしていつものように二人でいっばいいやらしい話をするの」

    「僕はしてないよ。君がしてるんだ」と僕は抗議した。

    「どっちだっていいわよ。とにかくそういう話をしながらいっばいお酒飲んでぐでんぐでんに酔払って緒に抱きあって寝るの」

    「そのあとはだいたい想像つくね」と僕はため息をついて言った。「僕がやろうとするとc君が拒否するんだろう」

    「ふふん」と彼女は言った。

    「まあとにかくまた今朝みたいに朝迎えに来たくれよc来週の日曜日に。一緒にここに来よう」

    「もう少し長いスカートはいて」

    「そう」と僕は言った。

    でも結局その翌週の日曜日c僕は病院に行かなかった。緑の父親が金曜日の朝に亡くなってしまったからだ。

    その朝の六時半に緑が僕に電話でcそれを知らせた。電話がかかってきていることを教えるブザーが鳴ってc僕はパジャマの上にカーディガンを羽織ってロビーに降りc電話をとった。冷たい雨が音もなく降っていた。お父さんさっき死んじゃったのcと小さな静かな声で緑が言った。何かできることあるかなcと僕は訊いてみた。

    「ありがとうc大丈夫よ」と緑は言った。「私たちお葬式に馴れてるの。ただあなたに知せたかっただけなの」

    彼女はため息のようなものをついた。

    「お葬式には来ないでね。私あれ嫌いなの。ああいうところであなたに会いたくないの」

    「わかった」と僕は言った。

    「本当にポルノ映画につれてってくれる」

    「もちろん」

    「すごくいやらしいやつよ」

    「ちゃんとっ探しておくよcそういうのを」

    「うん。私の方から連絡するわ」と緑は言った。そして電話を切った。

    しかしそれ以来一週間c彼女からは何の連絡もなかった。大学の教室でも会わなかったし