直子は死にc緑は残っているのだ。直子は白い灰になりc緑は生身の人間として残っているのだ。
僕は自分自身を穢れにみちた人間のように感じた。東京に戻っても人で部屋の中に閉じこもって何日かを過ごした。僕の記憶の殆んどは生者にではなく死者に結びついていた。僕が直子のためにとって置いたいくつかの部屋の鎧戸を下ろされc家具は白い布に覆われ窓枠にはうっすらとほこりが積っていた。僕は一日の多くの部分をそんな部屋の中で過ごした。そして僕はキズキのことを思った。おいキズキcお前はとうとう直子を手に入れたんだなcと僕は思った。まあいいさc彼女はもともとお前のものだったんだ。結局そこが彼女の行くべき場所だったのだろうcたぶん。でもこの世界でcこの不完全な生者の世界でc俺は直子に対して俺なりのベストを尽くしたんだよ。そして俺は直子と二人でなんとか新しい生き方をうちたてようと努力したんだよ。でもいいよcキズキ。直子はお前にやるよ。直子はお前の方を選んだんだものな。彼女自身の心みたいに暗い森の奥で直子は首をくくったんだ。なあキズキcお前は昔俺の一部を死者の世界にひきずりこんでいった。そして今c直子が俺の一部を死者の世界にひきずりこんでいった。ときどき俺は自分が博物館の管理人になったような気がするよ。誰一人訪れるものもないがらんとした博物館でねc俺は自身のためにそこの管理人をしているんだ。
*
東京に戻って四日目にレイコさんからの手紙が届いた。封筒には速達切手が貼ってあった。手紙の内容は至極簡単なものだった。あなたとずっと連絡がとれなくてとても心配している。電話をかけてほしい。朝の九時と夜の九時にこの電話番号の前で待っている。
僕は夜の九時にその番号をまわしてみた。すぐにレイコさんが出た。
「元気」と彼女が訊いた。
「まずまずですね」と僕は言った。
「ねえcあさってにでもあなたに会いに行っていいかしら」
「会いに来るってc東京に来るんですか」
「ええcそうよ。あなたと二人で一度ゆっくりと話がしたいの」
「じゃあcそこを出ちゃうんですかcレイコさんは」
「出なきゃ会いに行けないでしょう」と彼女は言った。「そろそろ出てもいい頃よ。だってもう八年もいたんだもの。これ以上いたら腐っちゃうわよ」
僕はうまく言葉が出てこなくて少し黙っていた。
「あさっての新幹線で三時ニ十分に東京に着くから迎えに来てくれる私の顔はまだ覚えてるそれとも直子が死んだら私になんて興味なくなっちゃったかしら」
「まさか」と僕は言った。「あさっての三時二十分に東京駅に迎えに行きます」
「すぐわかるわよ。ギターケース持った中年女なんてそんなにいないから」
たしかに僕は東京駅ですぐレイコさんをみつけることができた。彼女は男もののツイードのジャケットに白いズボンをはいて赤い運動靴をはきc髪をあいかわらず短くてところどころとびあがりc右手に茶色い革の旅行鞄を持ちc左手は黒いギターケースを下げていた。彼女は僕を見ると顔のしわをくしゃっと曲げて笑った。レイコさんの顔を見ると僕も自然に微笑んでしまった。僕は彼女の旅行鞄を持って中央線の乗り場まで並んで歩いた。
「ねえワタナベ君cいつからそんなひどい顔してるそれとも東京では最近そういうひどい顔がはやってるの」
「しばらく旅行して