字体
第(2/5)页
关灯
   存书签 书架管理 返回目录
 「でも怖いのよc私」と緑は言った。

    僕は彼女の肩をそっと抱いていたがcそのうちに肩が規則的に上下しはじめc寝息も聞こえてきたのでc静かに緑のベッドを抜け出しc台所に行ってビールを一本飲んだ。まったく眠くはなかったので何か本でも読もうと思ったがc見まわしたところ本らしきものは一冊として見あたらなかった。緑の部屋に行って本棚の本を何か借りようかとも思ったがばたばたとして彼女を起こしたくなかったのでやめた。

    しばらくぼんやりとビールを飲んでいるうちにcそうだcここは書店なのだcと僕は思った。僕は下に下りて店の電灯を点けc文庫本の棚を探してみた。読みたいと思うようなものは少なくcその大半は既に読んだことのあるものだった。しかしとにかく何か読むものは必要だったのでc長いあいだ売れ残っていたらしく背表紙の変色したヘルマンヘッセの車輪の下を選びcその分の金をレジスターのわきに置いた。少くともこれで小林書店の在庫は少し減ったことになる。

    僕はビールを飲みながらc台所のテーブルに向って車輪の下を読みつづけた。最初に車輪の下を読んだのは中学校に入った年だった。そしてそれから八年後にc僕は女の子の家の台所で真夜中に死んだ父親の着ていたサイズの小さいパジャマを着て同じ本を読んでいるわけだ。なんだか不思議なものだなと僕は思った。もしこういう状況に置かれなかったらc僕は車輪の下なんてまず読みかえさなかっただろう。

    でも車輪の下はいささか古臭いところはあるにせよc悪くない小説だった。僕はしんとしずまりかえった深夜の台所でcけっこう楽しくその小説を一行一行ゆっくりと読みつづけた。棚にはほこりをかぶったブラディーが一本あったのでcそれを少しコーヒーカップに注いで飲んだ。ブラディーは体を温めてくれたがc眠気の方はさっぱり訪ねてはくれなかった。

    三時前にそっと緑の様子を見に行ってみたがc彼女はずいぶん疲れていたらしくぐっすりと眠りこんでいた。窓の外に立った商店街の街灯の光が部屋の中を月光のようにほんのりと白く照らしていてcその光に背を向けるような格好で彼女は眠っていた。緑の体はまるで凍りついたみたいに身じろぎひとつしなかった。耳を近づけると寝息が聞こえるだけだった。父親そっくりの眠り方だなと僕は思った。

    ベッドのわきには旅行鞄がそのまま置かれc白いコートが椅子の背にかけてあった。机の上はきちんと整理されcその前の壁にはスヌーピーのカレンダーがかかっていた。僕は窓のカーテンを少し開けてc人気のない商店街を見下ろした。どの店もシャッターを閉ざしc酒屋の前に並んだ自動販売機だけが身をすくめるようにしてじっと夜明けを待っていた。長距離トラックのタイヤのうなりがときおり重々しくあたりの空気を震わせていた。僕は台所に戻ってブラディーをもう一杯飲みcそして車輪の下を読みつづけた。

    その本を読み終えたときc空はもう明るくなりはじめていた。僕はお湯をわかしてインスタントコーヒーを飲みcテーブルの上にあったメモ用紙にボールペンで手紙を書いた。ブラディーをいくらかもらったc車輪の下を買ったc夜が明けたので帰るcさよならcと僕は書いた。そして少し迷ってからc「眠っているときの君はとても可愛い」と書いた。それから僕はコーヒーカップを洗いc台所の電灯を消しc階段を下りてそっと静かにシャッターを上げて外に出た。近所の人に見られて不審に思われるんじゃないかと心配したがc朝の六時前にはまだ誰も通りを歩いてはいなかった。
上一页 目录 下一页