ぼうに見わたせた。三軒か四軒向うからもうもうと黒煙が上がりc微風にのって大通りの方に流れていた。きな臭い匂いが漂っていた。
「あれ坂本さんのところだわね」と緑は手すりから身をのりだす用にして言った。「坂本さんって以前建具屋さんだったの。今は店じまいして商売してはいないんだけど」
僕は手すりから身をのりだしてそちらを眺めてみた。ちょうど三階建てのビルのかげになっていてcくわしい状況はわからなかったけれどc消防車が三台か四台あつまって消火作業をつづけていているようだった。もっとも通りが狭いせいでcせいぜい二台しか中に入れずcあとの車は大通りの方で待機していた。そして通りには例によって見物人がひしめいていた。
「大事なものがあったらまとめてcここは非難したほうがいいみたいだな」と僕は緑に言った。「今は風向きが逆だからいいけどcいつ変るかもしれないしcすぐそこがガソリンスタンドだものね。手伝うから荷物をまとめなよ」
「大事なものなんてないわよ」と緑は言った。
「でも何かあるだろう。預金通帳とか実印とか証書とかcそういうもの。とりあえずのお金だってなきゃ困るし」
「大丈夫よ。私逃げないもの」
「ここが燃えても」
「ええ」と緑は言った。「死んだってかまわないもの」
僕は緑の目を見た。緑も僕の目を見た。彼女のいったいることがどこまで本気なのかどこから冗談なのかさっぱり僕にはわからなかった。僕はしばらく彼女を見ていたがcそのうちにもうどうでもいいやという気になってきた。
「いいよcわかったよ。つきあうよc君に」と僕は言った。
「一緒に死んでくれるの」と緑は目をかがやかせて言った。
「まさか。危なくなったら僕は逃げるの。死にたいんなら君が一人で死ねばいいさ」
「冷たいのね」
「昼飯をごちそうしてもらったくらいで一緒に死ぬわけにはいかないよ。夕食ならともかくさ」
「ふうんcまあいいわcとにかくここでしばらく成り行きを眺めながら唄でも唄ってましょうよ。まずくなってきたらまたその時に考えばいいもの」
「唄」
緑は下から座布団ざぶとんを二枚と缶ビールを四本とギターを物干し場に運んできた。そして僕らはもうもうと上がる黒煙を眺めつつビールを飲んだ。そして緑はギターを弾いて唄を唄った。こんなことして近所の顰蹙ひんしゅくをかわないのかと僕は緑に訊ねてみた。近所の火事を見物しながら物干しで酒を飲んで唄を唄うなんてあまりまともな行為だとは思えなかったからだ。
「大丈夫よcそんなの。私たち近所のことって気にしないことにしてるの」と緑は言った。
彼女は昔はやったフォークソングを唄った。唄もギターもお世辞にも上手いとは言えなかったがc本人はとても楽しそうだった。彼女はレモンツリーだの「バフ」だの五〇〇マイルだの花はどこに行っただの漕げよマイケルだのをかたっぱしから唄っていった。はじめのうち緑は僕に低音パートを教えて二人で合唱がっしょうしようとしたがc僕の唄があまりにもひどいのでそれはあきらめcあとは一人で気のすむまで唄いつづけた。僕はビールをすすりc彼女の唄を聴きながらc火事の様子を注意深く眺めていた。煙は急に勢いよくなったかと思うと少し収まりというのをくりかえしていた。人々は大声で何かを呼んだり命令したりしていた。ばたばたとい