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「紳士であることだ」

    僕は笑いはしなかったけれどあやうく椅子から転げ落ちそうになった。「紳士ってあの紳士ですか」

    「そうだよcあの紳士だよ」と彼は言った。

    「紳士であることってcどういうことなんですかもし定義があるなら教えてもらえませんか」

    「自分がやりたいことをやるのではなくcやるべきことをやるのが紳士だ」

    「あなたは僕がこれまで会った人の中で一番変った人ですね」と僕は言った。

    「お前は俺がこれまで会った人間の中で一番まともな人間だよ」と彼は言った。そして勘定を全部払ってくれた。

    *

    翌週の月曜日の「演劇史2」の教室にも小林緑の姿はみあたらなかった。僕は教室の中をざっと見まわして彼女がいないことをたしかめてからいつもの最前列の席に座りc教師がくるまで直子への手紙を書くことにした。僕は夏休みの旅行のことを書いた。歩いた道筋やc通り過ぎた町町やc出会った人々について書いた。そして夜になるといつも君のことを考えていたcと。君と会えなくなってc僕は自分がどれくらい君を求めていたかということがわかるようになった。大学は退屈きわまりないがc自己訓練のつもりできちんと出席して勉強している。君がいなくなってからc何をしてもつまらなく感じるようになってしまった。一度君に会ってゆっくり話がしたい。もしできることならその君の入っている療養所をたずねてc何時間かでも面会したいのだがそれは可能だろうかそしてもしできることならまた前のように二人で並んで歩いてみたい。迷惑かもしれないけれどcどんな短い手紙でもいいから返事がほしい。

    それだけ書いてしまうと僕はその四枚の便せんをきれいに畳んで用意した封筒に入れc直子の実家の住所を書いた。

    やがて憂鬱そうな顔をした小柄な教師が入ってきて出欠をとりcハンカチで額の汗を拭いた。彼は足が悪くいつも金属の杖をついていた。「演劇史2」は楽しいとは言えないまでも応聴く価値のあるきちんとした講義だった。あいかわらず暑いですねえと言ってからc彼はエウリピデスの戯曲におけるデウスエクスマキナの役割について話しはじめた。エウリピデスにおける神がcアイスキュロスやソフォクレスのそれとどう違うかについて彼は語った。十五分ほど経ってところで教室のドアが開いて緑が入ってきた。彼女は濃いブルーのスポーツシャツにクリーム色の綿のズボンをはいて前と同じサングラスをかけていた。彼女は教師に向かって「遅れてごめんなさい」的な微笑を浮かべてから僕のとなりに座った。そしてショルダーバッグからノートをだしてc僕に渡した。ノートの中には「水曜日cごめんなさい。怒ってる」と書いたメモが入っていた。

    講義が半分ほど進みc教師が黒板にギリシャ劇の舞台装置の絵を描いているところにcまたドアが開いてヘルメットをかぶった学生が二人入ってきた。まるで漫才のコンビみたいな二人組だった。一人はひょろりとして高い方がアジビラを抱えていた。背の低い方が教師のところに行ってc授業の後半を討論にあてたいので了承していただきたい。ギリシャ悲劇よりもっと深刻な問題が現在の世界を覆っているのだと言った。そして机のふちをぎゅっとつかんで足を下におろしc杖をとって足をひきずりながら教室を出て行った。

    背の高い学生がビアを配っているあいだc丸顔の学生が壇上に立って演説をした。ビアにはあのあらゆる事象を単純化する独特の簡潔な書体で「欺瞞的総長選挙を
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